吉野正人 単独インタビュー 東大阪出身プロレスラー

吉野正人 単独インタビュー 東大阪出身プロレスラー

 

最近、東大阪バーチャルシティの公式マスコットレスラー「マスクド・東大阪」が地域を騒がせ始めていますが、今回は正真正銘の全国区の現役プロレスラーさんにインタビューをお願いしてきました。

もちろん有名なプロレスラーというだけで取材をお願いしたわけではありません。

今回取材をお願いしたのはドラゴンゲートという団体の吉野正人選手という方ですが、なんと東大阪出身のプロレスラーさんなんです。

東大阪から全国・世界で活躍されている吉野正人選手にプロレスラーになる前から今に至るまでのお話をお聞きしてきました。

 

吉野正人 単独インタビュー 東大阪出身プロレスラー DRAGONGATE ドラゴンゲート

 

プロレスラーになるまで

もともとはプロレスが大嫌いだった

東大阪バーチャルシティ(以下、ひがバチャ):

プロレスに最初に出会ったのはいつ頃でしょうか?

 

吉野正人:

実は子供の頃、プロレスが嫌いで見るのも嫌だったんです。凶器とかすごかったですし。

夕飯時に父親がプロレスが好きだったのでいつも見ていたんですが、なんでプロレスなんかみんねん!って思ってました。

 

ひがバチャ:

えぇ!意外な感じがしますね。そこから好きになるきっかけって何があったんですか?

 

吉野正人:

東京ドームでアントニオ猪木選手とビックバン・ベイダー選手がやった試合を見たんです。

その試合がすごく面白くて、それを見て熱くなってしまって。こんなにすごいのがあるんやっ!って

それですぐにプロレスにハマってプロレスファンになりました。それから何度も試合会場にいきましたね。

 

ひがバチャ:

衝撃の出会いがあったんですね。その当時好きなプロレスラーはいたんですか?

 

吉野正人:

プロレスにハマってからは蝶野選手ですね、nWoとかかっこよかったですね。

 

ひがバチャ:

僕も当時同じこと思ってました(笑)。

そこからプロレスラーへと進んでいかれるんだと思いますが、子供の頃は何かスポーツはされていたんですか?

 

吉野正人:

小学生の頃はソフトボールをやっていましたね。中学校に入ってからは野球部に入っていました。

 

ひがバチャ:

学生時代によく遊んだ東大阪の場所とかはありましたか?

 

吉野正人:

若江岩田にあった近鉄ハーツには友達とよく行ってた気がします。珍しいガムとか買ってました(笑)

でもほとんど野球をやってたんであまり遊びに行ったりすることはなかったですね。


吉野正人 単独インタビュー 東大阪出身プロレスラー DRAGONGATE ドラゴンゲート

 

ひがバチャ:

それでいつ頃から本気でプロレスラーになろうと思い始めたんですか?

 

吉野正人:

特にいつからというのはなかったんですが、興味を持つととことんやりたくなる性分でして。

見てるだけでは落ち着かなくなるんです。

体が小さかったので、まずは鍛えようと思って家で腕立て伏せとかスクワットとかをやってましたね。

プロレスラーがやるぐらいの回数、500回とかやってましたね。

 

ひがバチャ:

プロレスラーになると言ってご両親は賛成されたんですか?

 

吉野正人:

最初はなれると思っていなかったんですが、大学に入ってからより真剣になりたいと思うようになりました。

親は大反対でしたね。

大学に入ってすぐぐらいだったんで、いきなり大学やめてやるなんて何を言ってるんだって。

入学3か月で体も小さかったんで、親からしたら人生を崩すようなものなんで、ショックというよりも怒りでしたね。

特に父親はデビューぐらいまでは口もきいてくれなかったですね。

母親は途中から折れて、当時未成年だったので入団の時の同意書には母親がサインをしてくれました。

 

ひがバチャ:

当時は他の団体の入団テストとかも受けられたんですか?

 

吉野正人:

当時は闘龍門という団体だったんですが、自分の体の大きさやスタイルを見てここしかないなと。

入団テストは無くて書類と面接だけでした。

日本で半年弱、合宿でした。それからメキシコですね。

大阪から神戸に来た以上、プロレスラーになるまでは帰らないという覚悟はありましたね。

 

吉野正人 単独インタビュー 東大阪出身プロレスラー DRAGONGATE ドラゴンゲート

 



プロレスラーになってから、今

ひがバチャ:

年間どれくらい試合をされているんでしょうか?

 

吉野正人:

イベント試合を入れると200試合以上ですね。

イベント試合というのは子供さん向けのプロジェクトなどや学童の時間帯に試合をしたり。

他には東大阪のパチンコ屋さんでもやったりしましたよ

 

ひがバチャ:

資料によるとドラゴンゲートにあるすべてのタイトルを手にしているとありましたが、一番思い入れのあるタイトルはありますか?

 

吉野正人:

思い入れというか逆に「お笑いゲート」というタイトルがあるんですが、それは一番困りましたね。

獲得してすぐに返上したりもしました。どうしたらいいかわからなかったですね(笑)。

 

ひがバチャ:

お笑いのタイトルですか(笑)。ドラゴンゲートのリングは試合だけでなくマイクパフォーマンスも重要ですね。

 

吉野正人:

うちのリングではマイクパフォーマンスはトップに上がるために必要ですね。

初めてきた方にも楽しんでいただける要素ですね。

そういう意味では試合前にリングアナやレフェリーがプロレス講座をやったり、子供さんたちをリングに上げて楽しんでもらったりしています。

次の世代に向けて楽しみを伝えるというか育てていく部分もありますね。

 

ひがバチャ:

なるほど、団体の中でもそういう取り組みを重ねているんですね。

ところで今たくさんのプロレス団体がありますが、他団体進出ということには興味はいかがですか?

 

吉野正人:

国内に関してはないですね。海外はメキシコやアメリカ、ヨーロッパへ遠征しています。

 

吉野正人 単独インタビュー 東大阪出身プロレスラー DRAGONGATE ドラゴンゲート

 

ひがバチャ:

「スピードスター」というニックネームがありますがどういうきっかけでつけられたんでしょうか

 

吉野正人:

確か週刊プロレスの記者の方が掲載したのが始まりだったと思います。

ROH(アメリカの団体)ではロープに走るだけで歓声が凄いですね。

自分としては「あれ?そうなん、そんなに速かったかな」って感じでしたが。

スピードがなかったら吉野正人じゃないという気持ちはあります。

 

ひがバチャ:

ROHでは「地球上で最も速いレスラー」といわれていますもんね。

試合用のコスチュームですが、何かこだわりがあって今のものになったんでしょうか

 

吉野正人:

スピードスターと言われるようになってそれらしいものにと思って今の形になりました。

イメージとしては100m走の選手が走り終わった後に両肩を降ろした感じですね。

逆に両肩部分がないとただのスパッツになってしまうので、この両肩部分が降りているのがポイントですね。

以前はチームカラーに合わせてオレンジだったんですが今は個人的に好きな緑ですね。(取材後、新ユニット結成で黒とシルバーに)

 

ひがバチャ:

大きなけがをされたと聞きました。もうケガの方はよくなったんでしょうか?

 

吉野正人:

ほぼ完ぺきですね、逆に完治って言うのはないですね(笑)

このケガはコーナーでの串刺しラリアットを食らった時に体が固定されていて首だけ持っていかれてなってしまいました。

3か月ぐらい休んで5月中に復帰する予定です(取材後、5/3の京都大会で復帰)

体の柔らかさでダメージを逃せるのですが、自分はドラゴンゲートで1・2を争うぐらい体が硬いんです。。。

 

ひがバチャ:

プロ野球巨人軍の森福投手と親交があるとお聞きしました。

どういったご縁でお知り合いになられたんでしょうか?

 

吉野正人::

彼がプロに入った頃に知り合いの付き合いで一緒に草野球をしたんです。

最初は知らなかったんですが、試合の最終回で対戦したんです。

しかもデットボール!今でもその時の話はしますね。

ただその時は特に何もなく、しばらくしてまた知人がつなげてくれてそこから食事に行ったり会場に来てもらったりするようになりました。

オフには一緒に自主トレしたりしています。


ひがバチャ:

プロ野球と言えば東大阪にも独立リーグの球団「ゼロロクブルズ」というチームがあるのですがご存知でしょうか?

 

吉野正人:

存在は知っています。近鉄の大ファンなので村上さんはよく知っています。

僕は当時、新井さんの大ファンでした。日生や藤井寺の球場へはよく行ってました。

野球好きとしては一度ゼロロクブルズの球場へ行ってみたいですね。

 

ひがバチャ:

ぜひ花園球場へもお越しください!

ところで今でも東大阪に帰ってこられたりしているんでしょうか

 

吉野正人:

たまに帰ってますね。巡業の合間とか年に一回開催の東大阪大会の時とか。

でも実家に2~3時間帰るぐらいで、友達とかとも東大阪で会うことはほとんどないですね。

 

ひがバチャ:

そうなんですね。いま東大阪を離れて住んでいる時と比べて東大阪の印象に違いはありますか?

 

吉野正人:

当時よりもひらけたというか栄えた感じがしますね。

大きなショッピングモールも増えましたし、大きなマンションや住宅なんかも増えましたね。

昔に比べて街が大きくなった感じがします。

 

ひがバチャ:

2019年には東大阪の花園ラグビー場でラグビーのワールドカップが開催されます。

 

吉野正人:

もちろん知ってます!ラグビーはやったことないのですが、たまにTVで見たりはします。

ルールが難しいですよね、前に投げたらだめなんですよね?

 

ひがバチャ:

東大阪バーチャルシティでラグビーワールドカップに向けた初心者向けの連載があるのでそちらでぜひ一緒に勉強しましょう!

 

吉野正人:

わかりました、読んでみますね。

 

ひがバチャ:

ぜひワールドカップの時には吉野選手にも何か関わってほしいですね

 

吉野正人:

東大阪のラガーシャツは持ってるんです。以前に市役所から頂きまして。

何年か前の東大阪での試合でリングに着て上がったことがあります。

市長の表敬訪問でも来ていったことがありました。

 

吉野正人 単独インタビュー 東大阪出身プロレスラー DRAGONGATE ドラゴンゲート

 

ひがバチャ:

いまお話のあった東大阪大会ですが、今年も開催されるんでしょうか?

 

吉野正人:

開催予定です。毎年8月か9月にしているので今年もこの時期に出来ればと思っています。

決定すればご報告させて頂きます。

 

ひがバチャ:

ぜひその時には東大阪バーチャルシティでもお手伝いさせてください。

また開催前にお話を聞かせてください。

 

吉野正人:

ぜひよろしくお願いします!

 

ひがバチャ:

今日は長時間、お時間頂きありがとうございました。

今後もぜひいいお付き合いよろしくお願い致します。

 

吉野正人:

こちらこそありがとうございました。

 

ビデオメッセージ

最後に吉野選手に東大阪の皆さんへメッセージをいただきました。

 

 


 

取材を終えて

吉野選手は全国区のトップレスラーにもかかわらずとても気さくでお話ししやすい方でした。

私自身、30年以上になる大のプロレスマニアで普段の取材よりも興奮気味でした。

本当はもっとマニアックなプロレスの話がしたかったんですが、それではおそらく記事自体がお蔵入りになりそうなんで自制しました。。。

 

東大阪出身でこんなに活躍されている吉野選手の存在はとても誇らしいです。

夏に開催される予定の東大阪大会は東大阪バーチャルシティでも何かお手伝いしたいと思います。

 

06ブルズで始球式&トークショー決定

取材後に発表がありましたが、5月21日に花園セントラルスタジアムで開催のゼロロクブルズの試合で吉野選手が始球式を行います

この記事を読んだあなた!5月21日は花園に来ること決定です。

直接、吉野選手に会ってぜひ声援を送ってみて下さい。

 

DRAGON GATE 吉野正人 & 東大阪バーチャルシティ マスクド・東大阪

 

取材後に東大阪バーチャルシティ公式マスコットレスラーで最近妙に調子に乗っているマスクド・東大阪がドラゴンゲートさんのリング上で一緒に記念撮影させてもらいました。

さらに調子に乗ったマスクド・東大阪、こちらは要注意です。

 

取材にご協力くださった吉野選手、ドラゴンゲートの皆様 ありがとうございました。

 

吉野正人 プロフィール

本名:吉野正人

生年月日:1980.7.17

出身地:大阪府東大阪市

身長:172cm

体重:77kg

血液型:A型

得意技:ソル・ナシエンテ改、ライトニング・スパイラル、スピードスター

デビュー戦:00年9月2日、メキシコ・アレナ・ナウカルパン、対伊藤透

テーマ曲:SPEED STAR

 

写真提供:DRAGON GATE

 

 

写真・文:東大阪バーチャルシティ 安原武男

投稿者プロフィール

安原武男
安原武男東大阪バーチャルシティ 管理運営者
2000年8月に開設した地域情報サイト「東大阪バーチャルシティ」
管理・運営団体:ナレッジ(代表者:安原武男)

布施プロレス運営責任者
マスクド東大阪公式代理人
布施商店街活性化学生団体「ふせのわ」運営責任者
エヌケー工房 オゾン発生器 公式アンバサダー

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